こんばんは、ぼくしです。
プロフィールにもありますが、わたしは妻と大学生の頃から十数年以上付き合ってきました。
結婚するまでに6-7年、そこから何年も一緒にいますが、ぶっちゃけると、
もう初恋のあの頃の甘酸っぱさは全くありません。どこにいったんだあの青春は。
メールの通知音で携帯を開くと全然違う人からのメール、とか、デートで手を握ろうとして握れない、とか、皆無です。
むしろそういう他人の話を聞いて「きゃー!!」となるくらい恋バナとか初恋系の成分を欲しています。
さて一方で大喧嘩や別居など一切なくずっと一緒にいますが、飽きませんし日々幸せだなぁと感じます。
付き合っている間も、結婚してからも、子どもができてからも、仲良くできているなぁと感じます。
「なんでそんなに長続きできるんですか?」ということをたまに聞かれます。
大体その時は、
「もうひとえに、わたしの人徳、懐の深さによるところが150%です」
と言ってしまうのですが、ふとなんでこんなに長く一緒に仲良くいられるんだろうと思う今日この頃。
一方でドラマでは夫婦生活が長くなればなるほどお互いに不満が溜まったり、会話が減ったりというシーンをよくみます。
実際、うちの実家も結構冷め切っていて熟年離婚もあり得るのかなぁとちょっと寂しいです。
そこで、妻という1人の女性と長続きして仲良くいられている理由を考えてみました。
大学時代の付き合いから結婚、子どもができてから、全てをひっくるめて考えてみました。
結婚して子どもができてちょっと夫婦関係に不安なパパ、奥さんとの仲が最近悪いパパなどの参考になれば幸いです。
なお、モテた経験は全くありません。チョコも母親からもらったチョコを一個と数えていた派です。
長く一緒に居続けられる理由は「感謝」と「尊敬」
先に考えた結論を書くと、妻に対して感謝と尊敬がいつまでもあるから長く一緒にいて楽しいのだと思います。
- 自分と一緒にいてくれてありがとう
- いつも息子のことを見てくれてありがとう
- 洗濯物をしてくれてありがとう
- アホみたいな踊りをしてくれてありがとう
- いつも叱ってくれてありがとう
挙げればきりがないですが、妻は目に見えるところも見えないところも色々と行動してくれています。
そんな気持ちがとても嬉しくて、いつもたくさんもらっているなぁ、ありがたいなぁと思います。
逆に自分があげられているものが足りない…と思うことも多々あります。
また、妻は非常に努力家で子どもがいようがなんだろうが常に前向きに色んなことに取り組もうとしています。
資格の勉強しかり、息子の保育園や幼稚園のことしかり、本当に努力家です。
そんな姿を見ていると焦りも感じますが同時に尊敬します。
自分は着々と淡々と進めるのは得意ですが、努力!みたいに一気に力を集中させることはなかなかできないタイプです。
自分にはできない頑張りを側で見ていると、本当にこの人は凄いなぁと思うんです。
次々と別れていく親友たち
わたしが大学時代のころ、同じサークルに2組のカップルがいました。どちらのカップルともわたしはとても仲良くさせてもらっていました。
2組とも大学生の頃から付き合いはじめ、大学を卒業してからも一緒に住んだりなんだりしていて、
「お、これもしかして俺が余興とか友人代表スピーチとかやっちゃうのかな!?」
と思っていたのですが、最終的に6-7年して2組とも破局してしまいました。
6-7年は、、、長い、、、
本当に仲が良くて気が合っていて、サークルの中でも本当にお似合いだと思っていたのに…当時とてもショックを受けたのを覚えています。
そのメンバーとやっていたサークルの時間が大学生活で1番楽しかった時間だったので、悲しみも一入でした。
別れてから数年して、とあるタイミングでサークルの同期と飲む機会がありました。そこで、1組目のカップルだった男側の友人に話を聞くと、
「なんだか一緒に生活していてお金が取られている感覚になっちゃって」
「自分はそんなに仕事をしている訳ではないのにこっちが使うお金にとやかく言われたり、趣味のことを言われたりして嫌になっちゃってさ」
と、付き合っていた様子からは考えられない言葉が次々と出てきて驚きました。
またもう1組のカップルの女の子側の話を聞くと、
「色々と自分が相手のためにお金とか補助してたんだけど、結局次会いにきた時に趣味のことに使っちゃってて」
「仕方ない状態ではあったと思うんだけど(当時彼が精神的に参っていた)、流石に限界で」
と涙ぐみながら言うんです。
なんだかんだ6-7年付き合ってきてこんな最後になるなんて悲しすぎると心から思いました。
共通しているのは「奪われている感覚」
その2組のカップルに実際に何があってどれだけ大変だったのかは推し量ることすら出来ませんが、共通する点があると感じます。
それは「奪われている感覚」です。
自分の時間やお金を奪われている感覚、もしくは自分が沢山与えているのにそれが無為に消費されている感覚、でしょうか。
もらってやろう/奪ってやろうと実際に本人が思ってはいなくても、相手に奪われている感覚を与えてしまっているんだと思います。
でも、してあげていることを当たり前にされると悲しいなぁと思うことがあります。
バイトをしていた時も、仕事をしている時も、「ありがとう」の一言がなくてイラッとした経験が結構あります。
見返りを求めて仕事をしている訳ではないものの(少しは気持ちとして見返りが欲しいとも思いますが)、「ありがとう」の一言だけで頑張る気持ちが出てくると思うんです。
恋人関係も夫婦関係も、どこか当たり前にしてしまっていないかと、常に自分の行動や発言を反省しないといけないなぁと感じます。
バレンタインにはチョコをくれるのが当たり前、誕生日にはプレゼントをくれるのが当たり前、デートで高いレストランに連れてってくれるのが当たり前…
よく考えれば、どんなことも当たり前ではないと思います。
普段から「感謝」について意識していること
わたし自身意識しているのは、ふと可愛いと思ったら可愛いと言うこと。何かしてくれた時や、それに気づいた時にはいつも「ありがとう」と言うことです。
その為にアンテナをはって、可愛いやありがとうを言うきっかけを常に探しています。
美容院から帰った時、イアリングやネックレスをつけている時、おしゃれな服を着ている時。
ちょっとでも良いなぁと思ったら「それ良いね」「可愛いね」と言うようにしています。
ゴミ出しをしてくれた時、息子を迎えに行ってくれた時、そういった時も同じようにありがとうと言うようにしています。
忘れることも多々ありますけどね、、、
ただ、たまにどうしても妻にやってもらったことを当たり前に思ってしまっていることはあります。
そして、段々と「なんでこれやってくれないのかなぁ」と不満に思ってしまうこともあります。
その時は、人生の師匠に言われた言葉を思い出しています。
「足るを知る」
自分が今までもらってきたものを振り返れ、という意味です。
自分が今までどれだけ色んなものを妻にもらってきたか、してもらってきたかを振り返るようにしています。
ついつい過去のことは忘れがちになりますが、Googleフォトの写真を過去に遡りながらこんなことがあったなあんなことがあったなぁと思い出すと、自然と感謝の気持ちが出てきます。
そして過去の写真を見るたびに、ああ昔のわたしと妻、若いなぁと思います。
一緒にいつもいてくれることが本当にありがたいと思います。
また、師匠にはこうも言われました。
「感謝は言葉だけではなく形にしなさい」
ありがとうと言うことも大切ですが、それを手紙に書いて渡したりすることもあります。
非常に照れくさいですが手紙は結構嬉しいみたいで、とても喜んでくれます。
そして、何かふとお土産を買ってきたり、お菓子を買ってきて渡したりすることもしています。
まだまだ出来ていないこともあるのですが、このように反省して反省して反省する日々を過ごしています。
前半のまとめ
個人的には、長く一緒に居続けられるのは「感謝」があるからでした。
逆に時間やお金を奪ってしまうとどうしても長続きするのは難しいように思います。
だからこそ、いつもありがたいという気持ちを持って、妻を崇めながら生きたいなぁと思うばかりです。
仕事でもなんでも感謝って大事ですし、妻にも目一杯感謝を伝えようと思ってます!
後半は、「尊敬」について感じることをつらつらと書こうと思います。
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