こんばんは、ぼくしです。
随分前に「人は見た目が9割」という本が出ていましたが、その少し隣に「人は話し方が9割」という本も並んでいました。
「もう18割になってるやんけ」と思いながら本屋を後にした私ですが、今回の話題は見た目のお話です。
普段から清潔感だけは少なくとも大事にしようと思っているわたしですが、過去全く見た目を気にしていませんでした。
その過去の失敗から見た今、そしてパパとしても結局見た目は大事だと感じた話をしようと思います。
人は見た目が9割?
学生の頃から、やれ見た目が大事だ、とか、やれ人は内面が大事だ、という話を腐るほどしてきたのは私だけでしょうか。
思い返すと、学生時代、たとえ彼女と一緒に歩いていたとしても可愛い女の子には自然と(無意識に)目がいきました。
最近でも、オフィスワークに向かう道中、綺麗な人には自然と視線がいってしまうものです。
仕方ないですね、性です。やめてください。物を投げないで。
さて、昔の自分自身はというと、「いや、人は見た目より内面だろう!」と、自分の見た目には全く気を遣わずに生きておりました。
特に見た目に気を遣わずとも問題もなかったので、それで良いとばかり思っていました。
学生時代は制服でほぼ過ごしていたから、あまり意識しなかったのかもしれません。
先輩、流石にそれは無くないですか?
しかし、そんな見た目を気にしなかった私でもショックを受けた事件があります。
その名も「カエルTシャツ事件」です。
大学生の頃、私は軽音サークルに入って楽しくやっていたのですが、そんなある日。
サークルの後輩からこんなことを言われました。
「先輩、流石にそれは無くないですか…?」
「え?何が?」と返すと、後輩は私の着ていた服を指差したのです。
その指の先には唐草模様の和柄にカエルの刺繍が入ったTシャツ。
母親がこれ可愛いからと買ってきてくれたシャツで何も考えずに着ていました。
着た回数にして10回以上。
その間、誰にも何も言われなかったのですがついに後輩は痺れを切らしたようです。
いくら見た目を気にしたことがない自分でも、こう思いました。
「後輩の、しかも女の子にそれを言わせるのはマズい!!」
内心これまでにかいたことのないほど冷や汗をかきました。十数年たった今でも、その感覚は強烈に覚えています。
さて、そこから多少身だしなみ程度は気をつけようと思って生きてきました。
見た目は、実は内面
最近になってとある講演を聞く機会があったのですが、その講師の方はこんなお話をされておりました。
「見た目と内面を分けてお話しされる方もいますが、見た目は、最も外側に表れる内面なんです。」
見た目と内面は、二項対立ではなく包含関係にある。目から鱗の考え方でした。
人は見た目だ、内面だと言っていたけど、見た目も内面の一つと言える…なるほど、と思います。
根本はだらしない自分の内面がカエルTシャツという外見に出てしまっていたのか!!
見た目も内面の一つ、と考えるのであれば、人は見た目が9割という表現も少し納得がいく気がします。
家族を持って意識が変わった
家族ができたりすると余計に見た目に気を遣わないといけないなと思います。
自分の見た目が家族の印象を上げたり下げたりする可能性があるためです。
「◯◯くんのお父さんださーい」
「なんでこの人ぼくしさんと結婚してるんだ…?」
自分の見た目で家族の印象が悪くなるというのはこういう事だと思います。
近所の公園に行くくらいならまだしも、ちゃんとした場にはちゃんとした服を着て出席できる。
そんなメリハリのある父親でありたいです。
おわりに
見た目も内面の一部と考えるのであれば、やはり見た目は大事ですね。
見た目がだらしない、汚い人は内面も同様と捉えられてしまうためです。
そしてパパの見た目はパパだけの問題ではありません。家族の印象を上げも下げもすると思います。
だからこそ、パパの見た目は家族のためにも磨かないといけないと感じたぼくしでした。
なお、妻に「わたしにはファッションのセンスがない」と言ったことがあります。その時の回答は以下の通り。
「お前はファッション誌の一つや二つ読んだことがあるのか」
「ファッションの勉強もしてないのにセンスもクソもない」
「センスは磨けるもの。磨いてないだけでしょ」
はい、死にました。正論三連パンチです。
そんな心がボロボロの時に読んで救われた本(漫画)がこちら。
おしゃれについてとても分かりやすくかつ行動もしやすく書かれています。
わたしのバイブルになってます。興味があれば読んでみてください。
にほんブログ村に登録しています!いつもクリックありがとうございます!
コメント