こんばんは、ぼくしです。
最近、自分の実家に帰ることがありました。
登下校の時の道を歩いてみたり、昔遊んだ公園を歩いてみたり、いろんな思い出が残っていました。
「あ、このお店まだあったんだ」とか「ここにお家なんてあったっけ…?」とか、
なんとも言えない感覚ですね。
息子と2人で行った実家はなんだか懐かしくもあり、またどこか自分が子どもに還るようなそんな不思議な感覚。
親にご飯を作ってもらったり、部屋で寝そべる感覚がむず痒いというか、なんというか。。
たぶんこんな感覚になる理由は、自分は親であり、子どもでもあるからなのかなぁと思います。
さて、そんな時にふと「今の自分は親にとってどういう存在なのだろう」と思うことがありました。
親の望んでいたような息子なのか。思い描いてたものとは全く違うような息子なのか。
今日はそんな、自分を振り返りながら息子を見つめるお話です。
お兄ちゃん、逆上がりできるん?
「お兄ちゃん逆上がりできるん?」
そう言うのは、8つ離れた妹です。息子と一緒に遊んでくれるありがたい存在です。
息子と妹と3人で公園に遊びに行っていた時のことでした。
今もでけへんなぁなんて言いながら妹と笑っていると、息子が「一緒にあそぼー」と妹の手を引きます。
滑り台を100万回滑り、走り回ってはしゃぐ息子を見て、改めて息子と自分は違うなぁと思うんです。
わたしは運動全般が苦手でした。過去のように言いますが、今ももちろん苦手です。
逆上がりなんてできた試しがありません。
小学生の頃「なんで足が速いやつがモテるんだ!!」と悩んでいる運動音痴系男子の1人でした。
大学生の頃なんて、2年生に混じって4年生で体育の講義を受けていました。
まぁこれは単に休んで単位を落とし続けただけなんですけどね。
そんな運動が大嫌いだったわたしですが、それを見て親はどう思っていたんでしょうか。
運動が苦手なのはダメだ、もっと運動しなさい!!!そう言われたことはありませんでした。
そう考えると、子どもに望むものの中に、きっとそんな運動が好きとか得意というのはなかったのかなぁと思います。
もちろん息子がオリンピック目指しているとかであれば運動の優先順位はもっと上なのでしょう。
もしくは運動が苦手そうなことは幼児の頃からわかっていたからかもしれません。
坂道に置いたら凍る息子です。そして外遊びよりブロック遊びの方がずっと好きな息子ですよ。
そりゃもう運動させたいとかではなかったのでしょう。
「あ、この子はたぶん運動嫌いなタイプやわ。それやったら勉強させるか。」
こんな会話が当時あったのかもしれません。
なんでこんなに順位落ちたんや
一方で勉強しなさい!と言われたことは度々ありました。中学校の頃、父親に静かに怒られたことがあります。
成績が順位として張り出される自称進学校に通っていた私は、毎回のテストの順位を親にみせることになっていました。
勉強を少しサボってひたすらゲームをしていたため、ある時50番以上順位を落としてしまったことがあります。
そのテストの順位の紙を見て、父親からこう言われました。
「ぼくし。なんでこんなに順位落ちたんや。」
「え、勉強頑張った?でも結果はこう出てるで?数字が全てやん。」
なんもいえねぇ
この経験以来、順位落としたら面倒なことになる…!と各テストについて結構本腰を入れるようになりました。
というふうに、勉強については結構チクチク言われ続けていた記憶があります。父親からのみですが。
なお、ビビリなので決して親に全力で反抗することはなかったようですが、反抗期には遠くから睨みつけたりしてたらしいです。ビビってんなぁ。
勉強でうるさく言われていたのであれば、勉強が出来るようになることは親から望まれていたんだろうなと思います。
結果的にそこそこいい大学に行けた上に、大学院でも面白い経験ができました。
今でも、ずっと色々と支えてくれた親には感謝してもしきれません。
いろんな選択肢を持つ
今までをまとめると、運動ではなく勉強することを望まれていたということになります。
なぜ勉強することを望まれていたのか。
いろんな選択肢を持てるようになって欲しかったから、なのかと想像しています(親の真意は定かではありませんが)。
学校で学べる科目は種々あっていろんな知識や考え方・解き方があります。
そんな中で、自分の得意や興味を見つけて伸ばしてあげれば、社会でも使えるからなのかもしれません。
もちろん学校の勉強の外側にこそ自分の得意や興味があることもありますよね
勉強を切り捨てるよりかは、その手札を残しておくほうが運動を切り捨てるよりも将来のリスクが低いように思います。
まぁわたしにはまず手札に運動というカードは無かったのですが。。
そういう意味で言うと、選択肢が比較的あった自分は恵まれていたのかと思います。
環境に恵まれていたのかも
また、わたしは中高一貫に行ってたこともあり学びの環境に恵まれていました。
自称進学校ではありましたが、周りがやるから自分もやる環境ではありました。
勉強以外にも色んな経験をさせてもらえる環境でもありました。ありがたやありがたや…。
そして運動できない仲間が多かった(?)のもよかったのかもしれません笑
クラスの中で頭の一番良いやつに勝てた試しはありませんでしたが、それでも得意や興味を勉強に見つけられたのはよかったと思います。
今の仕事は法律関係なのですが、改正するたびにいろんな知識をつける必要があります。
でも学ぶことは好きだったのもあって苦ではなく、自分の得意や興味を今の仕事にもいかせているなと思います。
親としての役目はきっかけを与えることなのかも
振り返ると、子どもの頃に自分にとっての得意や興味を見つけられたのが良かったと思います。
勉強以外にも、楽器だったり、漫画やアニメなど、色んな好きなことを見つけられて今の自分があります。
と思うと、親として大切なのは子どもの得意や興味を見つけるきっかけを与えることなのかもしれないと思いました。
そして、そのきっかけを与えるための良い環境を提供してあげる事なのかもしれないです。
とするなら、親の興味の幅しだいで、子どもの将来も変わってしまうのかも…?
残念ながらオタクの両親から生まれた子どもなので、息子はオタク決定です。そこら中に漫画が散乱している環境ですので。
もしそうならなかなかに恐ろしい事だなぁと思いますが、子どもの将来を狭めないためにも自分自身気をつけねばと思います。
まずは嫌いな運動からか…?
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