【家族の話】健康は身体だけの話じゃない

健康は心と身体両方 家族への向き合い方

こんばんは、ぼくしです。

ちょっと体調を崩していたので投稿ができていませんでした。

どれだけ健康に気を遣ってご飯を食べても、お風呂に入っても、息子からの咳のゼロ距離射撃を受けるとしにますね。

死の宣告を受けた感じです。逃れられない運命。避けられない戦いです(?)。

息子の体調が崩れると家族全員で体調を崩す負の連鎖です。

空気が乾燥しているのと、花粉が撒き散らされているのが相まってか、今回もやられました。

昔は急に熱が上がって、パタリ。みたいなことが多かったんですが、最近は徐々に蝕まれる感じです。

ちょっとずつ喉が痛くなっていって、咳き込むようになって、あれ?と思っていると頭痛が激しくなってパタリ…。

ぼくし
ぼくし

病院行きたいけど行ける時間がない!

さて、そんなわけで今回は大事な大事な家族と健康について書いていこうと思います。

体は資本、どころではない

よく、体は資本だという言葉を聞きます。

ただ、家族を持って子どもを持って、こう思います。

体は資本、どころではなくてもはや至宝。家族の宝です。

自分が体調不良で一日動けないだけでも、子どもの世話や何やら何までが妻の負担になってしまうからです。

逆もまた然りで、妻が動けないと大変なことになります。

うちの息子はママ大好きっ子なのもあって、だいたい

「マ゛マ゛か゛い゛い゛」

と泣き喚きます。

世の中の男の子みんな同じなのでしょうか?勘弁してくれ。。

ぼくし
ぼくし

でも最近わがままを言いつつも仕方ないと分かったら我慢できる息子。偉すぎる。

とは言いつつパパと一緒にお風呂入るよりもママ、ご飯を食べさせてもらうのもママ、あらゆるものがママです。

というわけで、親の片方が欠けるだけで家族運営に支障をきたしますね。

となると親の健康は何にも代え難いです。

また、最近、生体肺肝同時移植のニュースもありました。

生体肺肝同時移植手術(世界初)の実施報告

こちらの手術では両親から一部の臓器を移植したようですが、これも結局親の健康なくては成し得ないことですね。

考えたくもないですが、もし子供に移植が必要だ!となったとき。

親の体が役に立つかもしれないと思うと、身体の健康は本当に大事だなぁとニュースを見ながら思いました。

タバコとかはやってませんが、暴飲暴食は気をつけねば。。

というわけで、家庭の運営のためにも、そしてもしもの時にも、家族のための体づくりの大事さを痛感します。

健康は身体だけではなく、心も含めて健康

健康とは何かと聞かれると、ついつい身体のことだけを考えがちですが、こんな話を聞いたことがあります。

健康は身体だけでなく、心もまたすこやかであることを言う」

確かになぁと思います。

筋肉ムキムキで免疫力最強でも、メンタルボロボロだとそれは健康とは言えなさそうです。

ぼくし
ぼくし

まぁ、そんな人この世にいなさそうですけどね。

兎にも角にも、心の元気さも家族のためには大切ですね。

自分が子供だったら、やはり親には明るくいてもらいたいですし、愚痴を延々と聞かされるのはまっぴらです。

時たま沈むのはまだ良いにしても、常に心が元気じゃない親と一緒にいるとこっちまで気が滅入りそうです。

思い返せば自分の親は、ちゃんとメンタルを整えていてくれたのかもなぁと思います。感謝ですね。

親としての心の整え方

翻って自分はというと、ちゃんとメンタルは整えているつもり、、、です。

大袈裟に何かやっているわけではありませんが、発散の仕方を意識してはいます。

主に以下の3つを意識しています。

  1. 人との接点を家族、職場以外にも持つ
  2. 相談できる人を見つける
  3. 自分の時間をつくる

1つ目。やっぱり家族だけだと喋れないこと、職場だと喋れないことがどうしてもあります。

家族の愚痴、とまでは言わないですけどちょっとした不満だったり、悩みを共有できる人がいるだけでずっと心が楽になる気がします。

妻にああ言われたんだよね、こう言われたんだよね、とネタにした時。笑ってくれる友人がいるだけでも心穏やかになれます。

2つ目。真面目なことや、どうしてもモヤモヤすることを解決してくれる人がいると、本当に心晴れやかになります。

ネタにできない不妊治療とか、性的なこととか、共有して相談できる仲間がいると前向きになれます。

話しているうちに自分が実は悩んでいる、ということに気づくこともあったりします。

人との繋がりは大事だなぁと思いますね。。

3つ目。これは結構個人的には大きいです。わたしは昔からちょっとひとりの時間がほしいタイプの人間なので。

子どもとの時間も大好きなのですが、同時に自分の時間も意識して作ることで、心穏やかに息子とまた向き合える気がしています。

半日とか1日たっぷり自分の時間!というより、1時間だけとか、こまめに自分時間で心の栄養補給をしているイメージです。

恥ずかしながら「自己犠牲こそ真の愛だ!!自分をすり減らして子どもに尽くすのが親だ!!」みたいな過激派だったことも一時期ありますが、

普通に考えて、自分が幸せじゃないのに相手を幸せにできるわけないなと思い、この考えをやめました。

でも、多めに息子に時間もお金も体力も使ってあげたいとは思って日々生活しています。

自分はちょっとした休憩くらいで十分。そんなかっこいい父親でありたいと思います。

おわりに

親が満たされて云々とか言うと、親としての責務がーとか、親はこうあるべきーとか言う人がいますが、知るかって感じです。

自分を犠牲にしているという感覚を持つこと自体がどこか間違っていると言いますか、なんと言えば良いんでしょう。

誰も幸せにならない考え方ですね。子どもが可哀想です。

親がある程度満たされてはじめて子どもにいろんなことがしてあげられる、とわたしは思います。

だから、まずは少しは自分を満たすことに専念してみてもいいと思います。

また、心を健やかにするポイントはきっと捉え方にあると個人的に思っています。

何事も楽しいことと捉えて、やってみる。子どものご飯を作るのも日々楽しい挑戦です。

公園に行って、なりふり構わず子どもと騒ぎながら遊んだりもしています。側から見たらやばい親なのかもしれませんが。

身体も心もすこやかで、そうして日々の子育てや仕事を楽しくできる考え方でありたいです。

まだまだネガティブになりがちではありますが、少しずつ変えていこうと思います。

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