【コロナ真盛り】いかにして君が生まれたかを思い出そう

パパになって気づいたこと

こんにちは、ぼくしです。

緊急事態宣言下のこと、みなさん覚えていますでしょうか。

毎日のように感染者が何人で死亡者が何人でとニュースで報道されていました。

志村けんさんが亡くなってしまったニュースはとても衝撃的でした。

そんな訃報や感染率の伸びを見る度に気が滅入ってしまったのを記憶しています。

また、緊急事態宣言に入るや否や、在宅パソコンを支給してくれた我が社。

素晴らしい対応!と思いつつも家で仕事をすることの不思議な感覚に迷っていたのをよく覚えています。

ぼくし
ぼくし

在宅をはじめた最初の頃は「酒飲みてぇなぁ!」という謎の衝動に駆られていました。なんだったんだあれ。

そんなコロナ真っ盛りの中生まれたのが、我が息子です。

あの頃は大変だったんだよ?と将来語る事になると思われるこのコロナ禍でのドタバタ出産劇。

※ドタバタ出産劇というほどでもないけど

記憶が微かにあるうちに記しておこうと思い筆を取りました。

産婦人科に行ってはならなかったあの頃

当時のわたしと妻はどうしても子どもが欲しいと思い悩んでいました。

どうして妊娠できないんだろう、自分の体に問題があるのかも。タイミングなの?

そんなことを考えて、病院に通うことも考えていた時期です。

友人が妊娠したという話を聞いてはどこか焦りのようなものを感じ、とてもモヤモヤしていたと思います。

ぼくし
ぼくし

特に妻がモヤモヤ・イライラしているようで、とても気を遣っていた記憶があります。

そんな我々にもついに転機がやってきました。

ある日、朝起きると妻曰く「なんだか身体が熱い」とのこと。

そこでおそるおそる検査薬を買って試すと…陽性!

妊娠した!やった!と喜んだのも束の間。そこからが大変でした。

そこから車で少し行った先の病院に通う事になったのですが、コロナ下で、本来であれば産婦人科についていけるはずのわたしもコロナ危ないからとNG。

一切病院に入らせてもらえませんでした。なんてこったい。。。

病院から帰ってくる妻の話を聞きながら、やれ可愛いだのなんだのと話をしていました。

エコー写真を見ながら、「心臓がここなんだけど、動いてたよ!」と言う妻と話しながらこんなことを思っていました。

どうせなら、その場で見て、命を、感じたかった。。。

デルタ株とか緊急宣言とかもういいわ

お腹の中ですくすくと成長している息子に対して世の中はどんどんと混沌としていきます。

緊急事態宣言が2, 3回と出始めて、外出するなと言われるわ、散々。。。

加えてデルタ株という感染力も致死率も高い株が出るという始末。デルタ株に感染すると味覚とか嗅覚が消えるという話もありましたね。

実際に友人でデルタ株に感染して「全く味を感じなくなった」という話をしていました。

そういえばウイルスの株名を国名にするのが良くないからギリシャ文字にしようと言われていたのもこの頃でしたっけ。

当時の自分はどうだったかというと、感染に気をつけないといけないと思う一方で、人と会えずで気が狂いそうでした

ぼくし
ぼくし

もう緊急事態宣言で人とも会えん、飲み会でのくだらないコミュニケーションもできん、なんなんや!!!

妻のお腹も大きくなりつつあり、感染しないように気を遣いながら生活をしていました。

まぁ山梨に旅行に行ったり、誕生日にレストラン行ったりしていたんですが、それでも窮屈な生活だったと思います。

あ、もちろんみんなマスクしてました。ずーっと!

そして出産。それでも病院には行けない。

本来であれば、ドラマでよくあるような、病室の前を行ったり来たりして気を揉んだりすると思っていたんです。

そして、分娩室の中から「オギャー!」という声が聞こえた瞬間に涙ぐみながらガッツポーズを構える、と思っていたんです。

でも実際のところは全く違いました。

某日。妻がお腹痛いかも、と言って陣痛というやつがはじまりました。

急いで病院に車で向かったのですが、当時は夫であっても未だ病院には入らないでくださいの一点張り。。

あ、まだそうなんですねぇ…と病院の看護師さんにヘルプを頼んで、病院の中に連れて行ってもらったのを確認してから、わたしは病院を後にしました。

帰り道を運転しながら正直思いました。

え?おわり?

コロナを憎みました。

コロナさえなければドラマのような展開があったはずなのに。。

家に帰って静かにLINEで妻とやり取りをしながら現状を把握することしかできません。

「痛みの間隔がちょっと短くなってきた」「いたい」

妻といつものようにLINEで言葉を交わすのみです。

ぼくし
ぼくし

どんどんLINEの文言が短くなって、ひらがなばかりになってました。きっと痛いんだろうなぁ…大丈夫かなぁ…とかなり心配でした。

しばらく経って連絡が来なくなりました。

もう生まれるのか!?と思いながらLINEをしてみるのですが、既読すらつかない。

深夜遅くまで起きてみても、連絡一つも来ませんでした。

そして朝起きても、まだ進捗はなさそうでした。

「寝れない」「いたい」「促進剤入れてもらう事になった」

そうこうしているうちに陣痛が始まってから20時間たっても何も状況がわからない。。。

正直とても心配でした。

加えてLINEにも返信がなく、義理の母とともに本当に大丈夫なのかと気を揉む時間があり、、、

すぽっ(LINEの音)

うまれた、という言葉と共に写真が何枚も送られてきました。

子どもが生まれた感動もありましたが、何より母子共に無事でよかった…という気持ちの方が強かったです。

いや、本当によかった…。

窓ガラス越しのご対面?そんなものはない

よっしゃこれでドラマでよく見るガラス越しの子どもとのご対面も出来るのかも!と思いましたが…

まぁそうですよね、病院行けないんだから窓ガラス越しにも見れないんです。ちくしょう。

妻から動画や写真だけが送られてきて、いまいちパパとしての実感も持てないままでした。

可愛い、そう、可愛いんだけど、対面でない故のこのもどかしい気持ち…。

そうこうしているうちに妻が退院ということになり、家の前で恐る恐る抱っこをして写真を撮りました。

ぼくし
ぼくし

最初は抱っこするのが怖かったですね。。なんてか弱い生き物なんだ…と思ってました。

今写真を見返しても、あ、これかなり恐る恐る抱っこしているなぁと分かります。手慣れてない!

こうして帰ってきた息子と一緒にやっとパパとしての一歩を歩み始める事になったとさ。

おわりに

コロナ禍の中、思い描く子どもとのご対面とは違うことが沢山ありましたが、今となってはいい思い出です。

今やコロナも風邪と同じような扱いになって、ニュースでも取り上げられなくなりました。発熱外来は未だ激混みですが。

次子どもが生まれるときは、ぜひ出産の現場に立ち会いたいと思います。

ぼくし
ぼくし

血を見るのが苦手なのでぶっ倒れるかもしれませんけどね!!

また、コロナの中でも逞しく息子が育ってくれて本当に嬉しいなぁと思います。

せっかく世の中が明るくなってきたのだから、息子にはいろんな経験をさせたいと改めて感じます。

次はどこに連れて行こうかな!

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